百人一首
※ 上の句(かみのく)が赤字、下の句(しものく)が青字
現代語訳
桜の花の色は、むなしく色あせてしまったことだ。私自身も、恋や人生について物思いにふけりながら長い年月を過ごしているうちに、いつしか美しさが衰えてしまった。
歌人
ゆかりの地
特定の神社なし/ゆかりの寺院:隨心院
現在の寺院そのものは991年(正暦2年)の創建で、小野小町が生きたと考えられる時代より後になります。しかし、この一帯は小野小町の旧跡と伝えられ、境内には小町文塚、化粧の井戸など、小町にまつわる史跡が残っています。 つまり、 「小野小町が隨心院に住んでいた」 と単純に考えるより、 「後に隨心院となった京都・小野の土地に、小野小町の居住伝承が残されている」 と理解する方が歴史的には適切です。
基本情報
| 歌番号 | 9 |
|---|---|
| 歌人 | 小野小町 |
| 歌人読み | おののこまち |
| 生没年 | 生没年不詳(9世紀ごろ) |
| 時代 | 平安時代 |
| 季節 | 春 |
| 都道府県 | 京都府 |
| 所在地 | 京都府京都市山科区小野御霊町35 |
詳細解説
「花の色は」という言葉から思い浮かぶのは、美しく咲いた春の桜です。
ところが、小町が見つめているのは満開の瞬間だけではありません。
雨が続き、あれほど美しかった桜が少しずつ色を失っていく。
そして、その桜に自分自身を重ねます。
美しいものだからこそ、失われていくことが悲しい。
しかし、失われていくからこそ、その美しさはいっそう心に残ります。
第9首は「老いを嘆いた歌」とだけ考えるより、人間には止めることのできない「時間」そのものを詠んだ歌として読むと、さらに奥行きが出てきます。

歌人の小野小町は、生没年は正確には分かっていません。一般には9世紀ごろ、平安時代前期に活躍した歌人とされています。したがって「西暦825年ごろ生まれ」などと断定するのは避けた方が安全です。
六歌仙の一人として知られ、後世には「絶世の美女」の代名詞となりました。
しかし、歴史上の小野小町について確実に分かっていることは意外に少なく、出生地や晩年についても各地にさまざまな伝承があります。
その一方、歌人としての評価は非常に高く、恋、孤独、移ろう時間など、人間の内面を鮮烈に表現した歌が残されています。




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