百人一首
※ 上の句(かみのく)が赤字、下の句(しものく)が青字
現代語訳
これが、あの有名な逢坂の関なのだなあ。都から旅立つ人も都へ帰る人も、知っている人も知らない人も、ここで出会っては別れていく。
歌人
歌人: 蝉丸
読み: せみまる
蝉丸は、平安時代前期の歌人・音楽家として伝えられている人物です。 しかし、生年も没年も分かっていません。 つまり、 西暦何年に生まれ、西暦何年に亡くなった人物なのかは、現在も特定できません。 一般には平安時代前期、すなわち西暦9世紀から10世紀頃の世界と結び付けて語られる人物ですが、蝉丸について残されている話には後世の伝説が数多く含まれています。 そのため、歴史上の人物として紹介する場合には、確定した事実と伝承を区別することが大切です。逢坂の関のほとりで暮らす隠者 というイメージが、後世の蝉丸像の基本になりました。 人通りの絶えない場所の近くに暮らしていたのだとすれば、 「行く人」 「帰る人」 「知っている人」 「知らない人」 が次々に通り過ぎる光景を日常的に目にしていたことになります。 第10首の世界と、蝉丸の伝承上の生活場所は非常によく重なっています。
ゆかりの地
関蝉丸神社
この第10首には、非常に深いゆかりを持つ神社があります。 滋賀県大津市に鎮座する、 関蝉丸神社(せきせみまるじんじゃ) です。 関蝉丸神社は逢坂山周辺にあり、現在は上社と下社をもって一社とされています。 神社の由緒では、古くから京都と近江を結ぶ交通の要所だった逢坂山で、道や境界を守る神として信仰されてきたとされています。
基本情報
| 歌番号 | 10 |
|---|---|
| 歌人 | 蝉丸 |
| 歌人読み | せみまる |
| 生没年 | 生没年不詳 |
| 時代 | 平安時代 |
| 季節 | なし |
| 都道府県 | 滋賀県 |
| 所在地 | 滋賀県大津市逢坂一丁目15-6 |
詳細解説
「これが、あの有名な逢坂の関なのだなあ。
都から旅立っていく人も、都へ帰ってくる人もいる。
知っている人も、まったく知らない人もいる。
そんなさまざまな人々が、ここで出会い、そしてまた別れていく。
これが逢坂の関なのだ。」
という意味です。
一見すると、旅人が行き交う関所の風景をそのまま詠んだ歌のように見えます。
ところが、わずか三十一文字の中に「行く・帰る」「知る・知らぬ」「別れる・逢う」という、反対の意味を持つ言葉が次々と組み合わされています。
そのため、単なる風景描写を超えて、人と人との出会いと別れそのものを描いた歌として読むことができます。
逢坂の関は、現在の滋賀県大津市付近にあり、京都と近江、さらにその先の東国や北国を結ぶ重要な場所でした。
東海道・東山道などの主要な交通路が集まる地域で、多くの旅人がここを通りました。

ある人にとっては旅の始まり。
ある人にとっては旅の終わり。
同じ場所なのに、人によってその意味はまったく違います。
蝉丸は、逢坂の関を行き交う人々を眺めながら、そんな人生の不思議さを感じていたのかもしれません。
現代でも、駅や空港には大勢の人が行き交います。
同じ場所にいながら、それぞれがまったく別の人生を歩んでいます。
千年以上前の歌ですが、その情景は現代の私たちにも意外なほど身近に感じられます。


コメント