百人一首
※ 上の句(かみのく)が赤字、下の句(しものく)が青字
現代語訳
これほど思い悩んでしまったのだから、今となってはもうどうなっても同じことです。難波の澪標(みおつくし)ではありませんが、たとえこの身をすべて捧げ、身を滅ぼすことになっても、あなたに逢いたいと思います。
歌人
ゆかりの地
難波(特定のゆかりの神社なし)
この歌では、難波の景色が非常に重要です。 当時の難波は、現在の大阪周辺に広がっていた海や湿地、水路の景観と結びつく土地でした。浅瀬の多い水域を船が安全に進むため、水路を示す「澪標」が用いられていました。 「難波」と「澪標(みおつくし)」は意味の上でも深く結びついた言葉であり、この歌では縁語として働いています。 しかも「澪標(みおつくし)」という具体的な景物を出すだけではなく、 澪標 → みをつくし → 身を尽くし と音を重ねることで、難波の風景を一瞬にして恋の覚悟へと変えています。 この巧みな言葉遣いこそ、第20首を覚えるときの最大のポイントです。
基本情報
| 歌番号 | 20 |
|---|---|
| 歌人 | 元良親王 |
| 歌人読み | もとよししんのう |
| 生没年 | 890年~943年 |
| 時代 | 平安時代 |
| 季節 | なし |
| 都道府県 | 大阪府 |
| 所在地 | 該当なし |
詳細解説
この歌の中心にあるのは、「もう後戻りはできない」という強烈な恋の覚悟です。
最初の「わびぬれば」の「わぶ」は、思い悩む、つらく苦しむという意味です。単に寂しいという程度ではなく、恋が行き詰まり、どうすることもできなくなった状態を表しています。

続く「今はた同じ」の「今はた」は、「今となってはもう」という意味です。
つまり、「これほど苦しんでしまった以上、もう自分の身がどうなっても同じだ」という、半ば開き直ったような覚悟がここで示されています。
そして、この歌でもっとも重要なのが、「みをつくしても」です。
「みをつくし」には、「澪標」と「身を尽くし」という二つの意味が重ねられています。
下の句、「みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」は、という非常に激しい恋の宣言になります。
静かな難波の海に立つ澪標という景色と、自分を破滅させても構わないという激しい感情。この対比が、第20首の大きな魅力です。




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