第16首「立ち別れ~」中納言行平(在原行平)|現代語訳・意味・ゆかりの神社

百人一首

歌札
立ち別れ
(たちわかれ)
いなばの山の
(いなばのやまの)
峰に生ふる
(みねにおふる)
まつとし聞かば
(まつとしきかば)
今帰り来む
(いまかへりこむ)

※ 上の句(かみのく)が赤字、下の句(しものく)が青字

現代語訳

あなたと別れて因幡の国へ行ってしまっても、因幡の山の峰に生えている松のように、あなたが私の帰りを待っていると聞いたなら、すぐにでも帰ってきましょう。

歌人

歌人: 中納言行平(在原行平)

読み: ちゅうなごんゆきひら(ありわらのゆきひら)

中納言行平とは、在原行平(ありわらのゆきひら)のことです。 在原行平は818年に生まれ、893年に亡くなった平安時代前期の公卿・歌人です。 父は阿保親王。阿保親王は平城天皇の皇子であるため、行平は天皇の孫にあたります。 また、第17首「ちはやぶる」で知られる在原業平の兄でもあります。 行平と業平の兄弟は、826年に「在原」の姓を与えられ、皇族から臣下の身分になりました。 弟の業平が恋多き歌人として後世に名を残したのに対し、兄の行平は朝廷で着実に官職を重ねた政治家としての側面が目立ちます。 参議や中納言などを務め、最終的には正三位まで昇りました。

中納言行平(在原行平)

ゆかりの地

宇倍神社

宇倍神社
宇倍神社周辺の地図

宇倍神社は、古くから因幡国一宮として信仰を集めてきました。御祭神は武内宿禰命。 鳥取県の公式観光情報では、大化4年、すなわち648年創建と伝えられる神社として紹介されています。 また鳥取市によると、因幡国府が置かれていた時代には、都から赴任してきた国守が最初に宇倍神社へ参拝してから政務を始めたと伝えられています。 この伝承を考えると、855年に因幡守となった行平も、この地域の政治・信仰の中心であった宇倍神社と無関係だったとは考えにくいでしょう。 ただし、 「在原行平が宇倍神社に参拝した」 という個別の記録まで確認できるわけではありません。 そのため記事では、「歴代国守が参拝したと伝わる因幡国一宮であり、行平が赴任した因幡国と深く結びつく神社」と説明するのが適切です。

基本情報

歌番号 16
歌人 中納言行平(在原行平)
歌人読み ちゅうなごんゆきひら(ありわらのゆきひら)
生没年 818年~893年
時代 平安時代
季節 なし
都道府県 鳥取県
所在地 鳥取県鳥取市国府町宮下651

詳細解説

遠い因幡へ旅立つ在原行平(ありわらのゆきひら)が、都に残る人へ再会を約束する歌として読み継がれてきました。

「因幡」と「往なば」。

「松」と「待つ」。

二つの掛詞(かけことば)によって、因幡の山の風景と、人を待つ心が一つにつながっています。

百人一首第16首「立ち別れ」の情景を描いた在原行平と因幡の山・松のイメージイラスト

作者の在原行平(ありわらのゆきひら)は818年に生まれ、893年に亡くなった平安時代前期の公卿・歌人です。

また、第17首「ちはやぶる」で知られる在原業平の兄でもあります。

行平と業平の兄弟は、826年に「在原」の姓を与えられ、皇族から臣下の身分になりました。

弟の業平が恋多き歌人として後世に名を残したのに対し、兄の行平は朝廷で着実に官職を重ねた政治家としての側面が目立ちます。

百人一首第16首「立ち別れ」の情景を描いた在原行平と因幡の山・松のイメージイラスト

855年には因幡守となり、881年には一族の子弟教育のため奨学院を設立しました。

そして歌に詠まれた稲葉山の麓近くには、因幡国一宮の宇倍神社があります。

宇倍神社そのものが歌の舞台だという史料はありません。

しかし、行平が国守となった因幡、歌に詠まれた稲葉山、そして古代因幡国の政治の中心だった国府。

これらを一つにつないでくれる場所として、宇倍神社は第16首を理解するうえで非常に興味深い神社です。

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