第12首「天つ風~」僧正遍昭|現代語訳・意味・ゆかりの神社

百人一首

歌札
天つ風
(あまつかぜ)
雲の通ひ路
(くものかよひぢ)
吹きとぢよ
(ふきとぢよ)
をとめの姿
(をとめのすがた)
しばしとどめむ
(しばしとどめむ)

※ 上の句(かみのく)が赤字、下の句(しものく)が青字

現代語訳

空を吹く風よ、天女たちが帰っていく雲の通り道を吹き閉ざしておくれ。天女のように美しい舞姫たちの姿を、もうしばらくこの地上にとどめておきたいのだ。

歌人

歌人: 僧正遍昭

読み: そうじょうへんじょう

僧正遍昭は、816年に生まれ、890年に亡くなった平安時代前期の歌人・僧侶です。 俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、桓武天皇の孫にあたります。 若いころは僧侶ではなく、朝廷に仕える官人でした。仁明天皇に仕え、849年には天皇のそば近くで働く重要な役職である蔵人頭にまで昇進します。 ところが850年、仁明天皇が亡くなると、宗貞は出家しました。そのため後世には「僧正遍昭(そうじょうへんじょう)」と呼ばれるようになりました。

僧正遍昭

ゆかりの地

雲林院

雲林院
雲林院周辺の地図

雲林院は現在の京都市北区紫野にある寺院です。 もともとは淳和天皇の離宮・紫野院に由来する場所で、のちに僧正遍昭と深い関係を持つ寺院となりました。 869年、遍昭はこの地に関わり、雲林院を寺院として整えていきました。 さらに興味深いことに、現在の雲林院には、この第12首、 「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」 の歌碑があります。 つまり、第12首そのものが雲林院で詠まれたわけではありませんが、歌人・僧正遍昭の人生をたどる場所として、非常に重要なゆかりの地なのです。

基本情報

歌番号 12
歌人 僧正遍昭
歌人読み そうじょうへんじょう
生没年 816年~890年
時代 平安時代
季節 冬
都道府県 京都府
所在地 京都府京都市北区紫野雲林院町

詳細解説

空、雲、風、そして美しい乙女。

まるで天上の世界を描いた絵のような、幻想的な一首です。

しかし、この「乙女」は本当の天女ではありません。

僧正遍昭が目にしていたのは、宮中で華やかな舞を披露する「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」でした。

五節の舞姫が平安時代の宮中で華やかな装束をまとい、扇を手に優雅に舞う様子を描いたイラスト

この歌の魅力は、現実の光景と幻想の世界が自然につながっているところです。

実際に目の前にいるのは宮中の舞姫です。

しかし遍昭の想像の中では、舞姫は「天女」となり、空には天女が帰っていく「雲の通ひ路」が現れます。

そして風に向かって、

「その道を閉ざしてくれ」(吹きとぢよ)

と呼びかけます。

現実にはほんの短い舞の時間。

それを「天女が地上に降りてきた時間」として描いたことで、千年以上たった現在でも目の前に情景が浮かぶような一首になりました。

美しいものを見たとき、

「この時間が終わらなければいいのに」(しばしとどめむ)

と思った経験は、現代の私たちにもあるのではないでしょうか。

五節の舞姫を天女に見立て、雲の通い路を風で閉ざしてほしいと願う百人一首第12首のイメージイラスト

第12首は、そんな時代を超えて共感できる気持ちを、風と雲と天女という幻想的な世界に包み込んだ歌なのです。

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