第7首「天の原~」阿倍仲麻呂|現代語訳・意味・ゆかりの神社

百人一首

歌札
天の原
(あまのはら)
ふりさけ見れば
(ふりさけみれば)
春日なる
(かすがなる)
三笠の山に
(みかさのやまに)
出でし月かも
(いでしつきかも)

※ 上の句(かみのく)が赤字、下の句(しものく)が青字

現代語訳

はるか大空を仰いで月を眺めてみると、この月は、かつて故郷の奈良で見た、春日の三笠山の上に昇っていたあの月と同じ月なのだなあ。

歌人

歌人: 阿倍仲麻呂

読み: あべのなかまろ

阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は、698年ごろに生まれ、770年ごろに亡くなったとされる奈良時代の人物です。 若くして遣唐留学生に選ばれ、717年、唐へ渡りました。 当時の唐は世界でも屈指の大国です。その都・長安には各地から人や文化が集まっていました。 仲麻呂はそこで学問を修めるだけでなく、唐の官僚として出世していきます。中国では「朝衡」「晁衡」などの名でも知られました。 やがて仲麻呂は日本への帰国を試みます。 ところが帰国の航海は順調には進まず、結局、日本へ戻ることはできませんでした。その後も唐に仕え、異国の地で生涯を終えたとされています。 そうした人生を知ってから、 「三笠の山に出でし月かも」 と読むと、歌の印象は大きく変わります。 三笠山の月は、仲麻呂にとって少年・青年時代の奈良の記憶であり、家族や友人、そして二度と帰れないかもしれない日本へとつながる月だったのでしょう。

阿倍仲麻呂

ゆかりの地

春日大社

春日大社
春日大社周辺の地図

第7首には神社そのものの名前は登場しません。 しかし、 「春日なる 三笠の山」 という非常に重要な地名が登場します。 この三笠山、すなわち御蓋山と深い関係を持つ神社が、奈良県奈良市の春日大社です。仲麻呂が思い浮かべたのは、故郷・奈良の春日と三笠山の景色です。その三笠山と春日大社が歴史的・信仰的に深く結びついているため、「歌のゆかりの神社」として春日大社を紹介するのが自然です。

基本情報

歌番号 7
歌人 阿倍仲麻呂
歌人読み あべのなかまろ
生没年 698年頃~770年頃
時代 奈良時代
季節 秋
都道府県 奈良県
所在地 奈良県奈良市春日野町160

詳細解説

この歌で重要なのは、単に「月が美しい」と詠んだ歌ではないことです。

 阿倍仲麻呂は若くして遣唐留学生として唐へ渡りました。その後、唐の朝廷で官人として活躍し、長い年月を異国で過ごします。そんな仲麻呂が空を見上げたとき、そこにあったのが「月」でした。

 遠く離れた奈良の故郷と、自分がいる唐。その二つの場所を結んでくれるものが月だったのです。

「この月は、故郷の三笠山で見た月と同じなのだ」

 そう考えると、この歌の月は単なる風景ではなく、故郷そのものを象徴する存在に見えてきます。

 特に最後の「かも」には、深い感動や詠嘆が込められています。

 千年以上前の歌でありながら、遠く離れた故郷を思って夜空を見上げる気持ちは、現代の私たちにもよく分かります。

唐から故郷奈良の三笠山と月を思う阿倍仲麻呂を描いた百人一首第7首のイメージイラスト

 阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は、698年ごろに生まれ、770年ごろに亡くなったとされる奈良時代の人物です。 若くして遣唐留学生に選ばれ、717年、唐へ渡りました。

 仲麻呂はそこで学問を修めるだけでなく、唐の官僚として出世していきます。中国では「朝衡」「晁衡」などの名でも知られました。 やがて仲麻呂は日本への帰国を試みます。 ところが帰国の航海は順調には進まず、結局、日本へ戻ることはできませんでした。その後も唐に仕え、異国の地で生涯を終えたとされています。

 そうした人生を知ってから、 「三笠の山に出でし月かも」 と読むと、歌の印象は大きく変わります。 三笠山の月は、仲麻呂にとって少年・青年時代の奈良の記憶であり、家族や友人、そして二度と帰れないかもしれない日本へとつながる月だったのでしょう。

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