歌人一覧から見る 河原左大臣(源融) 投稿日: 2026年8月18日 更新日: 2026年8月18日 歌人年表 歌番号 第14首 歌人 河原左大臣(源融) 歌人読み かわらのさだいじん(みなもとのとおる) 生没年 822年~895年 時代 平安時代 歌人解説 河原左大臣は、源融(みなもとのとおる)という人物です。 822年に生まれ、895年に亡くなりました。 平安時代前期を代表する貴族の一人で、父は嵯峨天皇です。 あの紫式部の源氏物語の主人公「光源氏」のモデルと言われている人です!!! 天皇の皇子として生まれましたが、のちに皇族の身分を離れて「源」の姓を与えられ、臣下となりました。 源融は朝廷で出世し、最終的には左大臣という非常に高い地位にまで上りました。 また、政治家としてだけでなく、風流を好んだ人物としても知られています。 京都の鴨川近くには「河原院」と呼ばれる大邸宅を造りました。この「河原院」を所有していたことから、百人一首では本名ではなく「河原左大臣」の名で呼ばれています。 歌人一覧へ戻る
歌人解説
河原左大臣は、源融(みなもとのとおる)という人物です。 822年に生まれ、895年に亡くなりました。 平安時代前期を代表する貴族の一人で、父は嵯峨天皇です。 あの紫式部の源氏物語の主人公「光源氏」のモデルと言われている人です!!! 天皇の皇子として生まれましたが、のちに皇族の身分を離れて「源」の姓を与えられ、臣下となりました。 源融は朝廷で出世し、最終的には左大臣という非常に高い地位にまで上りました。 また、政治家としてだけでなく、風流を好んだ人物としても知られています。 京都の鴨川近くには「河原院」と呼ばれる大邸宅を造りました。この「河原院」を所有していたことから、百人一首では本名ではなく「河原左大臣」の名で呼ばれています。