歌人一覧から見る 阿倍仲麻呂 投稿日: 2026年8月10日 更新日: 2026年8月10日 歌人年表 歌番号 第7首 歌人 阿倍仲麻呂 歌人読み あべのなかまろ 生没年 698年頃~770年頃 時代 奈良時代 歌人解説 阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は、698年ごろに生まれ、770年ごろに亡くなったとされる奈良時代の人物です。 若くして遣唐留学生に選ばれ、717年、唐へ渡りました。 当時の唐は世界でも屈指の大国です。その都・長安には各地から人や文化が集まっていました。 仲麻呂はそこで学問を修めるだけでなく、唐の官僚として出世していきます。中国では「朝衡」「晁衡」などの名でも知られました。 やがて仲麻呂は日本への帰国を試みます。 ところが帰国の航海は順調には進まず、結局、日本へ戻ることはできませんでした。その後も唐に仕え、異国の地で生涯を終えたとされています。 そうした人生を知ってから、 「三笠の山に出でし月かも」 と読むと、歌の印象は大きく変わります。 三笠山の月は、仲麻呂にとって少年・青年時代の奈良の記憶であり、家族や友人、そして二度と帰れないかもしれない日本へとつながる月だったのでしょう。 阿倍仲麻呂 ゆかりの地 歌人一覧へ戻る
歌人解説
阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は、698年ごろに生まれ、770年ごろに亡くなったとされる奈良時代の人物です。 若くして遣唐留学生に選ばれ、717年、唐へ渡りました。 当時の唐は世界でも屈指の大国です。その都・長安には各地から人や文化が集まっていました。 仲麻呂はそこで学問を修めるだけでなく、唐の官僚として出世していきます。中国では「朝衡」「晁衡」などの名でも知られました。 やがて仲麻呂は日本への帰国を試みます。 ところが帰国の航海は順調には進まず、結局、日本へ戻ることはできませんでした。その後も唐に仕え、異国の地で生涯を終えたとされています。 そうした人生を知ってから、 「三笠の山に出でし月かも」 と読むと、歌の印象は大きく変わります。 三笠山の月は、仲麻呂にとって少年・青年時代の奈良の記憶であり、家族や友人、そして二度と帰れないかもしれない日本へとつながる月だったのでしょう。 阿倍仲麻呂 ゆかりの地