第6首「かささぎの~」大伴家持|現代語訳・意味・ゆかりの神社

百人一首

歌札
かささぎの
(かささぎの)
渡せる橋に
(わたせるはしに)
おく霜の
(おくしもの)
白きを見れば
(しろきをみれば)
夜ぞふけにける
(よぞふけにける)

※ 上の句(かみのく)が赤字、下の句(しものく)が青字

現代語訳

かささぎが翼を並べて架けたという天上の橋。その橋のような宮中の橋に降りた霜が真っ白になっている。その白さを見ると、夜もずいぶん更けたのだなあ。

歌人

歌人: 中納言家持(大伴家持)

読み: ちゅうなごんやかもち(おおとものやかもち)

中納言家持は、大伴家持(おおとものやかもち)のことです。 生年は718年ごろ、没年は785年。 奈良時代を代表する歌人の一人で、父は同じく有名な歌人・大伴旅人です。 大伴氏は古代から朝廷に仕えてきた有力氏族でした。 家持は歌人としてだけでなく、朝廷に仕える官人としても生涯を送りました。746年、大伴家持は越中国守として、現在の富山県方面へ赴任しました。 この越中で過ごした時代は、家持の歌人人生を考えるうえで非常に重要です。昇進や地方官への赴任を重ね、最終的には中納言にまで進みます。 そして785年に亡くなりました。

中納言家持(大伴家持)

ゆかりの地

氣多神社

氣多神社
氣多神社周辺の地図

氣多(けた)神社は、富山県高岡市伏木一宮に鎮座する古社です。 大伴家持が越中国守として赴任した土地と深い関係を持つ神社です。 家持は越中赴任中、この地域の自然や人々との交流を数多く歌に残しました。 氣多神社の境内には、大伴家持の歌碑もあります。 さらに注目したいのが、境内に大伴神社があることです。 ここには大伴家持が祀られており、現在も家持を顕彰する祭りが行われています。 つまり氣多神社は、第6首そのものの舞台ではありませんが、 「大伴家持という人物を訪ねる場所」 として、とても意味のある神社なのです。

基本情報

歌番号 6
歌人 中納言家持(大伴家持)
歌人読み ちゅうなごんやかもち(おおとものやかもち)
生没年 718年頃~785年
時代 奈良時代
季節 冬
都道府県 富山県
所在地 富山県高岡市伏木一宮字大平2063

詳細解説

この歌を理解するうえで、最初に知っておきたい言葉が「かささぎ」です。 かささぎは鳥の名前ですが、この歌では単なる鳥として登場しているわけではありません。

背景にあるのは、中国から伝わった七夕の伝説です。

織姫と彦星が天の川を渡って会うとき、かささぎたちが翼を並べ、天の川に橋を架けるという伝説があります。 そのため、 「かささぎの渡せる橋」 とは、もともとは天上に架かる幻想的な橋を意味します。

一般的な解釈では、宮中の橋や階段を、伝説上の「かささぎの橋」に見立てていると考えられています。 冬の深夜。 宮中の橋や階段に霜が降りています。 灯りや月の光を受けて、霜は白く輝いていたのでしょう。 その幻想的な白さを見た家持は、地上の宮中と、天上の「かささぎの橋」とを重ね合わせたのです。

家持が夜の深まりを知る手がかりにしたのは、霜の白さでした。

夜が更け、気温が下がり、霜が白く降りている。
その光景を見て、

「夜もずいぶん更けたのだなあ」

と感じています。
現代なら時計やスマートフォンを見れば、一瞬で時間が分かります。
しかし昔の人は、月や星、空の色、気温、霜など、自然の変化から時間を感じ取っていました。

「かささぎの 渡せる橋に おく霜の」の冬の夜をイメージしたイラスト

そう考えて読むと、この歌の静けさがいっそう伝わってきます。
人の声も聞こえない冬の宮中。
冷え込んだ空気。
白く光る霜。
その中で、ひとり夜の深まりに気づく。

第6首は、そんな一瞬を切り取った歌なのです。

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