百人一首とは

百人一首とは?

 百人一首と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?

 私は、子供の頃は、百人一首と言えば、正月に親戚と一緒に遊んだ「かるた」としての百人一首でした。意味はあまり理解していませんでした。

 それが、年をへて、ふと振り返って勉強する時間が持てるようになると、ようやくそれがもつ本来の意味を理解するようになりました。今なら「百人一首とは?」と問われれば、こう答えます。

百人一首は、1000年前の先人と、現在をつなぐ架け橋だ!

 百人一首は、1000年近く前の鎌倉の初期に、藤原定家によって編纂されたと言われます。そしてその歌には、詠み人が更に数百年前の飛鳥時代の人の歌もあります

 考えてみてください。1000年以上前の人の「歌」を、現代の我々が読めるんですよ!
そして、その頃の描写にゆかりの土地が、ちゃんとあるんですよ!
こんなことは、世界的に見ても大変珍しい、日本の誇るべき文化であり、先人達の知恵です。

現代の日本人が、1000年前の先人の思いを、百人一首を通じて見て、次の世代に繫いでいきましょう!

百人一首とかるた

百人一首は、かるたになっていて、カードゲームとして遊べます。
百人一首は、いわゆる「五・七・五・七・七(ご・しち・ご・しち・しち)」の合計31音で構成される、日本独自の歌です。

百人一首のかるたでは、この「五・七・五・七・七」を、「上(かみ)の句」の「五・七・五」と、「七・七」の「下(しも)の句」にわけて考えます。

読み札」には、「上の句」と「下の句」の歌のすべてが書かれています。そして、「取り札」には、「下の句」のみしか書かれていません。「取り札」はすべてひらがなで書かれます。

そして、この「取り札」を畳なり床に広げて、それを取るメンバーが待機します。
そこに、読む人が「読み札」を読んで、「上の句」から読まれます。
その「下の句」の「取り札」を皆で競って取るゲームです。早く取った人が、その「取り札」を持つことができます。最終的に、「取り札」を一番多く取った人が勝利です。

ここで、「読み札」は「上の句」から読まれますが、「取り札」には「下の句」しかありません。つまり、歌全部を記憶している人でないと、「上の句」を読まれただけでは取れないのです。
勝つためには、「上の句」と「下の句」全体を覚えないといけないので、だんだん歌を覚える事になるのです。

小倉百人一首の成り立ち

小倉百人一首は、藤原定家が過去の歌人百人を選び、それぞれ一首ずつを書き記したものがもとになったとされています。
藤原定家は、1162年(応保2年)から1241年(仁治2年)迄生きた人で、鎌倉時代の初期に亡くなっています。
「小倉」という名称は、京都の小倉山周辺にあった山荘との関わりに由来すると伝えられています。選ばれた歌は色紙に書かれ、山荘の障子などを飾るために用いられたという説があります。
現在の小倉百人一首には、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、長い時代にわたる歌が並んでいます。
そのため、百首を順に読んでいくと、日本の和歌の歴史をたどるような楽しみ方もできます

どのような歌人が登場するのか

百人一首には、身分も時代も異なる百人の歌人が登場します。
これも、日本ならではのことと言えるでしょう。身分に関わらず、そして、男女も平等に、歌が選ばれているのです。歌の上の平等」という人もいます。日本は、古くから身分などにこだわらない国家だったのです。

天智天皇や持統天皇などの天皇、柿本人麻呂や山部赤人などの古代を代表する歌人、紫式部や清少納言、和泉式部などの女性歌人、さらに僧侶や武家と関わりの深い人物も含まれています。

小倉百人一首の第1首は天智天皇、第2首は持統天皇であり、その後も各時代を代表する歌人の歌が続きます。

歌だけを読むのではなく、歌人が生きた時代や境遇を知ることで、その歌の意味がより深く感じられるようになります。